長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか) | 生没年 | 1539〜1599 | 官位 | 宮内少輔・土佐守 |
国親の嫡男、盛親の父、長浜戸の本の戦いで初陣をかざり「土佐の出来人」と呼ばれる。
祖父の代からの宿敵本山氏をはじめ、安芸氏を滅ぼして土佐を統一し、次いで阿波、伊予、讃岐に侵攻、三好氏・十河氏・香西氏・西園寺氏・河野氏ら諸氏を降して四国全土を統一した。
四国征伐によって豊臣秀吉に臣従し、九州征伐・関東平定・朝鮮出兵に参加した。
連歌を愛した文化人でもあった。
しかし、九州征伐で長男・信親を失ってからは、性格が一変し、4男・盛親を溺愛して当主にしようとした結果、これに反対した家臣を殺害するという荒っぽい家督相続事件を起こしている。
1599年、京都伏見で亡くなった。享年61歳。
元親「たとえ長宗我部家にどんな武辺者が出ても、わが在世の如くせよ。戦陣にあっては桑名弥次兵衛を先陣、久武内蔵助親直を中陣、宿毛甚左衛門を後陣とし、布陣の変更は禁ずる」
『桑名弥次兵衛一代手柄書付』
長宗我部元親銅像(土佐若宮八幡宮)