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香宗我部貞親(こうそかべ・さだちか) 生没年 1591〜1660 別称 親和・左近大夫・中原源左衛門


 香宗我部親泰の子。文禄二年に行われた朝鮮の役で父と兄を一度に失い、貞親は三歳にして家督を相続する。補佐役にはもとの香宗我部氏である中山田泰吉とその弟秀政が担った。
 関ヶ原合戦後、長宗我部氏の滅亡により堺に移り住み、後に寺沢広高に仕える。盛親が大坂の陣で豊臣方についたことで寺沢家に迷惑がかかることを嫌い出奔。中原源左衛門と名を変えて浪人となる。
 やがて長宗我部氏の遠縁にあたる春日局の推挙により、寛永十二年頃堀田正盛に仕え、1000石を知行する。
 寛永十五年、老中となった堀田正盛は信濃国松本に加増され、寛永十九年七月には下総国佐倉11万石に移された。このとき貞親は佐倉城受け取り役となり大役を果たした。
 慶安五年、貞親には子がなかったため高井源三衛門の長男・親重を養子にむかえ香宗我部家を継がせた。万治三年七月、70歳で死去。
 親重は同年十月堀田家が改易されると、伊達家に仕官した。




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