長宗我部氏の名言集
嘘をつくようなら、秀吉も大したことはない。 | 発言者・元親 |
天正13年(1585)に行われた四国征伐に敗れ、
降伏した長宗我部元親にたいして、豊臣秀吉は「上方に来て挨拶せよ」と命じた。
降ったからにはやむ終えないと、
元親も上方行きを決めたが、
そのとき家臣たちが元親の身を案じてこう言って引きとめようとした「秀吉は油断なりません。行ったら殺されるかもしれません」
これに対して元親はこう言い返した
「もしお前たちの言うように秀吉が嘘をつくようなら、
大した男ではない。
しかし秀吉はまがりなりにも天下人だ。
天下人は自分の言った言葉を大切にする。
信頼こそが第一だ。恐れず行こう」
そう言って元親は、
わずか50人ばかりの供しか連れずに大坂に行った。
秀吉は大喜びで「よく来た」と、
ご馳走攻めの歓待をした。
元親の言葉どおり、
秀吉は自分に従った戦国武将を冷遇するようなことはしなかった。
参考文献・童門冬二著 『戦国名将一日一言』 PHP文庫 269ページ引用
臆病とは、胸の病と書く。 | 発言者・元親 |
長宗我部元親はよく、
「人が臆病かそうでないかは、
軍談をするとよくわかる。
面白がる人間もいれば、
怖がって席を立つ人間もいる。
子供の時のこういう気持ちは大人になっても変わらない。
そういう原則をいくつか頭に持っておくと、
人間を見る目が養われる。
生まれつき臆病だからといって治らないわけではない。
私はかつてあるお坊さんにきいた。
臆病という字はなぜこういう字を書くのですか。
お坊さんはこう答えた。
臆病というのは胸の病だからです。
これをきいて胸の病ならば、
必ず治ると信じた。
生まれつき臆病だと思っている人間も、
病を治すように努めれば必ず克服できる。
あいつは臆病だといって見捨ててはいけない。
その病が治るように周りから手を添えてやるべきだ」
と言っていたという。
これは四国・九州・関東・朝鮮半島と戦ってきた元親が自分自身に言い聞かせた言葉であり、同時に戦場における部下の結束をうながすための言葉だったのではないだろうか。
参考文献・童門冬二著 『戦国名将一日一言』 PHP文庫 378ページ引用
いただいた饅頭は、部下にも食わせます。 | 発言者・元親 |
豊臣秀吉は天下統一を終えると、
自分に従った大名たちを呼んで舟遊びをした。
そのとき秀吉は脇に置いた饅頭を一つずつ大名に与えていった。
大名たちはもらった饅頭をその場で食べた。
しかし、その場にいた長宗我部元親はもらった饅頭の端を少しかじっただけで、
残りを紙に包んでしまった。
これを見た秀吉は元親に「長宗我部、その饅頭をどうするつもりだ?」と訊いた。
元親は答えた「太閤殿下が、お手から賜った饅頭です。私1人でこれをいただくには、
もったいのうございます。
部下にも分けて食べさせるつもりで持ち帰ります」
秀吉は非常に満足した様子で、
脇に置いてあった饅頭をすべて元親に与えたという。
長宗我部家の将来を案じての心配りだったともいえるし、
元親の家臣に対する思いやりの表れともいえるエピソードである。
参考文献・童門冬二著 『戦国名将一日一言』 PHP文庫 341ページ引用
葉武者のように斬り死にはしない。 | 発言者・盛親 |
大坂の陣で豊臣方に味方した長宗我部盛親は戦いに敗れて城が落ちると、
淀川の葦の陰に隠れていたが、
やがて捕らえられてしまった。
取調べのときに徳川方の武将が訊いた。
「あなたは大将なのに、
なぜむざむざと捕らえられたのだ?
自害するべきだったんじゃなかったのか」
すると盛親はこう答えた。
「私はあなたの言うとおり大将だ。
葉武者なら斬り死にするか自害もしただろう。
私が捕らえられてもおめおめと生きているのは、
いつか脱走して再び軍を挙げ、
徳川殿と一戦交えたいからだこれが大将の心得だ」
これを聞いた者は、半分は感心し、
半分は「負け惜しみだ」とあざ笑ったという。
参考文献・童門冬二著 『戦国名将一日一言』 PHP文庫 415ページ引用